映画「君の名は。」

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Q:「新海誠作品に縁の無いのだけれど、見た方がいいんでしょうか。」

A:「こまけえことはいいんだよ、とにかく見れ。」

というやりとりを実際にしたわけでもないのですが、そんな風に思わせる熱いパワーを感じ、筆者は劇場へ向かった。お一人様で。周囲のカップルには屈しない。

個人的にクリティカルヒット作品が続いたこの夏、ノーマークだった「君の名は。」がまさかの最後の伏兵に。
新海監督と言えば圧倒的映像美というのは承知しており、真っ先にその点で引き込まれたわけですが、加えてストーリーも素晴らしく、噂に違わぬ素晴らしい作品でありました。

以下、ネタバレ注意。

 

 

 

彼女の名は、彼の名は。

宮水三葉。
飛騨の山奥の湖の畔・糸守
町に住む女子高生。実家は神社で神事もこなすが、その風習や、町長である父の政治活動に嫌気がさし、都会に憧れる。

立花瀧。
都心でバイトに明け暮れる高校生。喧嘩っ早い。絵の心得がある。密かにバイト先の先輩・奥寺に好意を寄せる。

ある日二人は入れ替わり、その事実に気づく。
二人はランダムな入れ替わりを受け入れ、互いの生活を守ることを決める。

入れ替わりに狼狽えるものの、それぞれの生活の維持という現状維持に至るあたり、この二人がなかなかに生真面目だなと感じさせる部分だと思います。
無論事態が超常的過ぎて、解決のしようがないというのもあるのですが(笑)。

とにもかくにも、三葉がかわいい。
圧倒的ヒロイン力。

瀧(中身が三つ葉ver.)になってもかわいい、溢れる女子力。
演じる神木君の乙女声が不思議とそれっぽい(笑)。

一方の瀧くん。
物腰は柔らかいが、運動神経は良く喧嘩っ早い。
男気があるのだが、どことなく煮え切らない…彼の真価は中盤以降と言えるか。
三葉(中身が瀧ver.)になると、その度に胸を揉みしだく。
そりゃあそうだろう!!!そこに山があるのなら!!!(力説)

ところで二人の要素を羅列すると、いずれもが物語の展開に関わり、無駄なく昇華されていることに気づく、凄い。

また、三葉が三葉である時に髪を組紐で結んでおり、一方の瀧も瀧である時に腕輪を身につける。
このアイテム自体が重要なものなのは後々はっきりするのですが、それが互いの心体が一致していることを表現するのに用いられていることも、大きな意味を持つと思います。

入れ替わりの終焉と、明らかになる事実。

互いの生活を守ると言いつつも、三葉(中身は瀧)は友人のために日曜大工をやってのけたり、瀧(中身は三葉)は奥寺先輩との関係性を進展させ、周りの環境を大きく変える。

危なっかしさはありつつも入れ替わり生活を続ける二人。
そんな生活は、三葉の目前で彗星が最接近した日、終焉を迎える事となる。
一方の瀧はその日、彗星を目にすることは無かった。

入れ替わりが途絶え、瀧は自身が見たはずの景色を追い求める。
自分探しのようでもあり、自分ではない誰かを探す日々。
決意の飛騨旅行の中で彼は、三葉が暮らした糸守町は、三年前の隕石飛来により消失していたことを知る。

本作の大仕掛け、二人はズレた時間軸で入れ替わっていた。
「電話とかして連絡とらんもんかね」という野暮なツッコミを完全粉砕(笑)。

入れ替わりの記憶は曖昧、というのもかなり重要な意味を持っていましたね。
思えば二人が入れ替わりの際、記憶なり判断なりが甘くなっていると感じさせるシーンも多い。
最初なんかは1日記憶が抜け落ちてるはずなのに、その事に焦りを感じなかったり。
三葉サイドでは盛り上がっている彗星報道が、瀧サイドでは一切話題にならないことを、二人とも疑問にも思わなかったり。
当然映像的にも、スマホやカレンダーに今何年かが移りこ込まないよう伏せていたと思いますが、彼ら自身も年などを確認するという意識が外れていたとしても不思議ではありません。

また入れ替わりが途切れた後は、二人が互いに電話をかけているシーンが明確になりました。
おそらく初期のうちに連絡先を伝え合い、コンタクトを試みていたことが想像できます。
瀧からの連絡が通じないのは当然。
三葉からの連絡が通じないことにしても、三年前の瀧が携帯を持っていなかったことで説明できるとは思います。
都会の学生でも、携帯は高校になって持たされるとか意外とありますよね。

事実が判明するまでは個人的には、二人はパラレルワールドで入れ替わっているかとも思ったのですが。
実際はもう少し搦め手というか、時系列を考えると非常にややこしいことに(笑)。

この糸守町の事故が明らかになる辺りや、小出しにはっきりとしていった最後の二日間の三葉の行動 髪型の変化・東京へ向かう宣言・二人の最初の出会い・組紐の譲渡 など、時系列が鮮明になっていくことで、「そうか、そういうことだったのか」という気づきが連続していきます。
これがもはや快感とも言える感覚!!

糸守町を、三葉を救え。
瀧の見出した切り札「口噛み酒」。

瀧は宮水神社の神域の存在を思い出す。
奉納されたのは「口噛み酒」、人類最古の酒にして、巫女の半身、三葉の半身。
これを口にした瀧は、糸に導かれるままに糸守と彗星のビジョンを追い、さらには三葉の人生を追体験し、彗星落下の当日に辿り着く。

見た瞬間はよく分からないままに、怒涛のような映像に翻弄されていたのですが、日を置いて思い至ったことが幾つか。

隕石は三度以上落ちた?】

ティアマト彗星の落下のほか、糸守の湖もまた隕石の落下によってできた隕石湖であったことが劇中で明かされています。
そして個人的に違和感を覚えたのが、ご神体のある神域の風景。
あの山の頂もまた、隕石によってできたクレーターだったのではないでしょうか。

劇中で察するだけで三度、あの地域は周期的に隕石の被害を受けた地域だった。
また、ご神体の祠に描かれた絵から、この隕石は1000年周期で訪れるというティアマト彗星と同一であることが考えられる。
ティアマト彗星は接近する旅にあの地域に欠片を落とす、深く結びついた関係性を持つ可能性がある。

【隕石に備え、太古の人が仕掛けた対抗策】

おそらく過去の隕石も甚大な被害を生み出したでしょう。
では、当時の人達はこの悲劇を黙って受け入れていたのか?
そんなことはないはずです。

天災に立ち向かった人々の筆頭は、宮水神社の一族。
この一族の娘は代々他者との入れ替わりを経験しており、それは祖母・一葉、母・二葉も同様であったと言います。
天災の被害を受ける糸守から遠く離れた地に住むものと入れ替わり、危機を伝える、それこそがこの入れ替わりの本来の意図でありだったのではないか……故に宮水神社の風習では組紐が重要な意味を持つ。
人と人を結ぶ。

自然災害に対して、現代の最新技術で立ち向かうのではなく、日本古来の土着神話を連想させる超常性で立ち向かったと言えます。
日本人の感覚によく馴染む見事な仕掛けだと思います、糸守という地名もそのまんまですしね。
瀧も最終的に「このために一族の能力はあった」と結論付けていましたね。

数度触れられていた「繭五郎の大火」により消失した神社の古文書の中には、この能力と隕石についての記述がきっと遺されていたのだと思うのですが……やっちまったなあ繭五郎!!

【「口噛み酒」は魂のバックアップ?】

さて見出しで”切り札”と表現した「口噛み酒」ですが、これもまた太古から伝わってきた伝統の一つでした。

三葉の半身ともいうべきこの酒を口にした瀧は、三葉の誕生から成長の追体験まで起こして、最後の入れ替わりを経験します。
隕石に巻き込まれ宮水の一族が途絶え、入れ替わりが機能しなくなった事態でも、宮水の人間の半身を取り込み、その相手の誕生の時点から辿って任意の時で入れ替わる。
口噛み酒にはそのような機能が備わっていたのではないでしょうか。
いわば”魂のバックアップ”。

もちろん入れ替わった対象である瀧くんだからこそ機能したのだとは思うのですが。
つまり普通の人が飲めばただのお酒!!売ろう、四葉ちゃん、本気で売ろう写真付きで!!!

戯言はさておき、この方法で入れ替わった瀧は今までにないほどに強く三葉とつながりました。
だからこそ祖母・一葉は一目で入れ替わりを見抜いた。
四葉ちゃんも「おかしい、おかしい、絶対におかしい」と連呼した…いや、そっちはきっと別の理由(笑)。

ともあれ、伝承は失われ風化しかけていたはずの風習は、瀧の機転によって無為にならずに済んだと言えるでしょう。
すげえぞ瀧くん、資料探しの中でその手の文献にも巡り合っていたかもだが、ほぼ直感的に模範解答に極めて近いところへ辿り着いてるということになる。

住民救出大作戦
互いの名を求め続けた二人の再会

テロ紛いの避難作戦を計画・実行するが、住民は応えてくれず、想いは届かない。
窮地の瀧は、同じく入れ替わっているはずの三葉に会うためにご神体へ向かう。

三年前の三葉(中身は瀧)と、現在の瀧(中身は三葉)。
交わらないはずの二人は、黄昏時の神域で、再会を果たす。

隕石の真相が明らかになって以降、抗いようのない悲劇的な雰囲気が続きましたが、瀧の機転で入れ替わりが成功することで、物語は一路災害救助の様相に(笑)。
悪巧みを重ねる三葉(中身は瀧)とてっしーの悪ノリ感が実に楽しい。

あと、触れ損ねてましたが、三葉の友人・早耶香が大変に素晴らしかった。
具体的に言うと悠木碧さんの方言の破壊力
腹くくって淡々とアナウンスをする演技もスゴイ。

そして、黄昏時の二人の再会。
「黄昏」→「誰そ彼」→「かれたそ」→「君の名は?」という、リフレインされてきたキーワードが結びついた瞬間、二人が出会うことになるという流れが実に良い。
ひとつひとつのシーンが弾けるように結びついていく心地よさ。

束の間の再開で組紐は本来あるべき者へ戻り、三葉は薄れる記憶に耐え計画を引き継ぐことに。
先の項で瀧くん優等生と述べましたが、肝心の町長の説得には失敗しています。
瀧の喧嘩っ早さが裏目ったように見えますが……。
あるべき心体に戻った三葉が町役場に辿り着き、町長をどのように説得して避難協力へ至ったのかは明確な描写がありませんが、町長は巫女の入れ替わりを知りつつも認めようとしてこなかった節があります。
先に瀧がやらかし、本来の心体に戻った三葉が改めて説得をしたことで、巫女の能力を認めざるを得ず、町役場が動くことになった、ということなのだと解釈します。

悲劇は回避され、記憶は失われ、そして

隕石被害から8年後、瀧の糸守町跡の放浪から5年後。
就職活動に追われる瀧は、ずっと誰かを探している感覚を抱えながら日々を過ごす。

そして二人は巡り会う。
問いかける言葉は、「君の名は。」

何かを語るのも躊躇われるような、美しいエピローグの流れでした。

あえて何かを述べるなら、「瀧と三葉はここまでしてようやく巡り合えたのに、何故この劇場はカップルで溢れているのだろう」という気持ち。
妬みとかとは違う意味で。
何だろう、リア充カップルすげえな、っていう純粋な想い。

 

という、酷すぎる戯言はさておき、見事なまでに綺麗に物語がまとまっていたと感じた作品です。
複雑ではあるのだけどもつれる訳ではなく、絡まり・解けて・紡がれ・結ばれる、まさに糸のように織り成されていく様子に、身を委ねる心地よさすら感じる映画でした。

まずは小難しいことを考えず見るが良し。
そして物語を思い返す度、糸が解けるように何かを見つけることができる作品でしょう。

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